2026.09.01

【作品紹介】
「松も時なり竹も時なり―いのちと時間」
コラムとInstagramリール動画
公開のお知らせ

< 松も時なり竹も時なり―いのちと時間 >

相田みつを


すこし理屈ッぽいこといいますが、ごめんなさいね、


道元禅師のことばに、


 松も時なり、竹も時なり


というのがあります。


松は松の時間を生きる、竹は竹の時間を生きる


山口さんは山口さんの時を生き、


田中さんは田中さんの時を生きるということです。



人間がね、


便宜上作った一日二十四時間という時間にですねえ


或場合は拘束されたり


或場合は追いまわされたりしながら


毎日を夢中で生きているわけですが


道元禅師の言われる時間はそういうものではないんです。



山口さんは山口さんの時間を作りながら生きる


田中さんは田中さんの時間を作りながら生きる


だから山口さんの時間と、田中さんの時間は全く別


それが道元禅師のいう時間です。



生きるいのちがそのまま時間


生きた時間がそのままいのち


自己のいのちと時間はいつでも一ツ


それが道元禅師の考え方です。



恋人を待つ間の一時間は、とてもとても長いのに


恋人と一緒にいる時間は大変短い


アッという間に過ぎてしまう


同じ一時間でも生きた中味によって


時間の長さと密度が全く違う。



ぐちと泣きごとばかり言っている人は


ぐちと泣きごとの時間を作りながら生きている人


言いわけと弁解ばかりしている人は


言いわけと弁解の時間を作りながら生きている人


そして―


明るくさわやかに充実したいのちを生きている人は


明るくさわやかに充実した時間を作りながら


生きている人です。



どういう時間を作りながら生きるか―?


それを決めるのは、だれでもない


「いつでもこの自分!!」






【コラム】
作品< 松も時なり竹も時なり―いのちと時間 >について



今回ご紹介するのは、


「松も時なり竹も時なり―いのちと時間」。




この作品の中で印象的なのは、


山口さんは山口さんの時間を作りながら生きる 田中さんは田中さんの時間を作りながら生きる


という一節です。




私たちは普段、「時間を使う」という言い方をすることが多いように思います。




けれど、みつをのことばに触れていると、時間はただ過ぎていくものではなく、自分自身が日々作り出しているものなのかもしれない、と考えさせられます。




たしかに時計が刻む一時間は誰にとっても同じです。




それでも、楽しみな予定を待つ一時間と、夢中になって何かに取り組んでいる一時間とでは、その長さも濃さもずいぶん違って感じられます。




作品の中でみつをは、


生きるいのちがそのまま時間 生きた時間がそのままいのち


と記しています。




時間といのちは別々のものではなく、どのように生きるかが、そのままどのような時間を作るかにつながっているのでしょう。




忙しい毎日の中では、つい時間に追われているような気持ちになることがあります。




けれど、ときには立ち止まって、


自分はいま、どんな時間を作りながら生きているだろう


と問いかけてみるのも良いかもしれません。




せっかく与えられた今日という一日です。




できることなら、いのちいっぱいに。




そんなことを、この作品を読み返しながら感じました。





相田みつを美術館 作品広報室







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次回は、2026年9月15日頃にまた違う作品のコラムとリール動画の公開を予定しております。

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